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Can't Stop Fall in Love【番外編】

腹黒王子の失恋

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 仕事を終えたある日の夜、俺は呼び出しのあったバーへと向かった。ビルの一角にある店の重厚な扉を開くと、顎髭を蓄えた初老のマスターが俺を一瞥して静かにほほ笑む。客もまばらな店内を見渡せば、カウンターの隅に突っ伏している人物の姿を捉えた。

 俺を呼び出した張本人───須崎輝翔、である。

 呼び出された理由になんとなく心当たりはあったが、輝翔のうなだれた様子で予想が的中していたのがわかる。
 「悪い、遅くなった。……彼と同じものを。」
 俺の呼びかけに対しても反応はない。黙って隣に座ると、二の句を探した。

 輝翔の落ち込みの原因……それは、妹の美月に彼氏ができた、ということだろう。

 先日、美月が珍しく外泊をした。今まで大学のゼミの課題やら飲み会やらで遅くなることはあったが、方々からの圧力もあり終電ギリギリで帰宅していた。それなのに、だ。
 翌朝顔を合わせた途端にピンときた。美月は考えていることが顔に出やすい。本人の口からはっきりとしたことは聞かなくても、言い訳する時のはにかみ具合や照れ隠しのようなぶっきらぼうな口調で、おそらくその場にいた家族全員気がついたことだろう。

 『あ……、男、できたな。』

 もちろん、誰も突っ込んだりはしない。神妙な顔つきの父親と、呑気に娘の成長に感慨にふける母親と、妙に浮かれている妹の中で、俺だけが不安を感じていたことは確かだった。

 ───それが、この有り様だ……。

 店内では沈黙が続き、ピアノジャズのメロディーが静かに流れる。
 「どうぞ。」
 マスターが俺の目の前にグラスを差し出す……ん?ショットグラスと塩とライム???

 「……っお前、なんでこんな時にテキーラなんだよ!?」

 思ってたのと違ーう!!相変わらずうつぶせたまま動こうとしない輝翔に、思わずツッコミを入れた。

 「普通、大の男が失恋してやけ酒を煽ってるんなら、ウイスキーとかバーボンとかブランデーとかじゃないのか!?なんで『テキィーラァ!!』なんだ。『アミィーゴォ!!』なんだ。店の雰囲気を考えろ!!」

 まくしたてる俺に苦笑いしながら、マスターはグラスを拭き続ける。いや、同じものを頼んだのは俺だし、飲むけどね?ギュっとしてグイっとしてペロって……あー、キツイ……。
 強烈なアルコールで喉が焼けるのを感じていると、ようやく輝翔が起き上がった。

 「……悠一ぃぃぃ」

 「お前……泣くなよ……」

 その顔は、見るも無残にボロボロだった。
 男の俺でも見惚れるほどの容姿はどこへやら。いつもは凛々しい眉も下がり、大きな瞳から恥ずかしげもなく涙を流したのだろう、目も鼻も赤くなっている。おまけに口はへの字にして、子供かっ!?

 「やっぱりそうか……。美月に、男ができたのか……。」

 言うなり輝翔は、またもがっくりとカウンターに突っ伏した。

 「今日、久しぶりに美月の姿を見かけたら……、男と一緒だった……」

 ここには、美月曰く王子様然とした男の姿はない。背中に負のオーラを纏った輝翔は弱々しく呟いた。

 「いや、ゼミの同期とか、ただの男友達、なんじゃね?」

 輝翔の落ち込み具合はある程度予想していたものの、ここまでとは思わなかった俺は、今さらながらはぐらかすことにした。だが、突っ伏して泣いていたはずの輝翔はふいに起き上がると真顔で俺を睨みつける。

 「……お前さっき、失恋って言った。」

 それだけ言うと、三度カウンターにうつ伏せる。誤魔化せなかった……うん。

 「……美月が、女の顔をしてたんだよ。」

 身体はカウンターに伏せたまま顔だけ前を向いた輝翔は、まるで飼い主に捨てられた犬のように瞳をウルウルさせながら遠くを見つめていた。

 「……まあ、こればっかりは、仕方ないわな。」

 慰めの言葉は見つからない。空になったグラスを指ではじいていると、頼んでもいないのにマスターがお代わりを差し出した。───え、2杯目?さすがにテキーラ2杯は…。いや、出されたものは飲むけどね。あー、キツイ……。

 「……でも、俺は嬉しいんだよ。お前がちゃんと、俺との約束を守ってくれて、さ。」

 『妹の恋愛の自由は守ること』

 輝翔が美月を好きだと言い出した時、妹のために輝翔と約束をした。
 当初それは、社交界という特殊で閉鎖された空間に妹が身を投じることのないように配慮した予防線のようなものであった。だがしかし、本当は輝翔から美月を守るという意味も兼ねていた。
 一見すると王子様のように品の良い輝翔の実態が、策略家で肉食であることを長年の付き合いで知っている。人当たりも良くて社交的、温厚で穏やかというのは世間一般の評価でしかなく、誰に対しても態度を崩さないということは、裏を返せば他人には滅多に素の自分を晒すことはないということだ。それが輝翔の育った環境の中で身に着けた処世術なのかもしれないが、出会った頃の輝翔は他人に興味を示すことも、執着することもなかった。
 なぜ美月なのか。その答えは今でもよくわからない。輝翔の口から好意自体は聞かされたが、理由だけは未だに教えられることはなかった。2人が出会ったのは美月が中1の時で、当時は輝翔ロリコン説が俺の中では有力ではあったが、美月が22歳になった今でも変わっていないということは、やはり他の理由があるのだろう。
 つまり輝翔は、親友であり仕事上のパートナーである俺に対してさえも、すべての本音を語ってはくれないということだ。
 そんな男が初めて自分から興味を示したのが、美月だった。
 他人に無関心だった男が、自分から何かを望んだらどうなるか。さらに、実家は父親の雇い主であり、大企業の御曹司ともなればそれなりの権力を持っている。
 輝翔がその気になれば、美月は間違いなく婚約者だのなんだのと、逃れられないポジションに持って行かれたことだろう。

 「誰かさんたちが、ロリコンだの、自重しろだの、社会人として対等な立場になってからの方がいいだの言うから、こんなことに……。」

 ───うぐっ。恨みったらしい輝翔の言葉を聞き流すためにカウンターに目をやると、なぜか3杯目のテキーラが運ばれた。いや、もう無理……。無言で断ろうとするが、マスターの眼光に妙な圧力を感じる。いや、出されたからには飲みますよ、飲めばいいんでしょう。

 「で?相手の男はどんなヤツ?」

 「いや……、俺は、何も。」

 輝翔の聞きたいことはわかっているが、知らないふりをしてテキーラを飲み干した。あー、キツイ……。
 嘘はついていない。少なくとも美月から『俺は』なにも聞いてない。
 美月からいろいろ聞きだした母親や沙紀から、相手の男の名前や学部等の多少の情報は得ていたが、ここは黙っておいてやるほうが得策だろう。
 妹に彼氏ができたということは兄としては複雑な心境でもあるが、同時に喜ばしくもある。ようやく庇護を外れて自立しようとしている妹の幸せを願えば、兄の口から妹の彼氏の不利益な情報は渡せない。
 考えすぎかもしれないが、相手の保身、という意味もある。輝翔がその気になれば調べる方法はいくらでもあるだろうが、とりあえず、今は何も言うまい。
 できるのであれば、美月には『普通』の幸せを手に入れてほしい。
 そのためには、腹黒御曹司の魔の手から守ってやるのも、兄としての勤めだろう。

 「……とりあえず、飲め。」

 「いや、さすがに……」

 小さく舌打ちした輝翔は、マスターに合図すると次々と酒を追加する。
 律儀に約束を守ってくれたことに感謝はしているが、輝翔の気持ちに協力することはできなかった。
 せめて友人として、この席には付き合ってやるか。それが男同士の友情ってもんだろう。

 その夜、俺は輝翔にベロベロになるまで飲まされて酔わされた。

**********

 缶ビールを手に輝翔から送られたふざけたメールを読み返しながら、俺は当時のことを思い出していた。
 その後美月の交際相手だった男は就職難に遭遇し、ようやく地元である地方の企業へと就職が決まったと聞いた。卒業と同時に離れ離れとなった二人はそのまま自然消滅し、それから1年と経たない内に輝翔は美月を手に入れたのである。

 ───いろいろあったが、結局美月は輝翔を選んだわけだ。

 本人は無自覚を装っていたが、美月が輝翔に惹かれていることは誰の目から見ても一目瞭然だった。
 美月が長く誰とも付き合う機会がなかったのは、輝翔や俺の妨害工作もさることながら、本人が輝翔以外の男を意識することがなかったからだと思う。それは当然だろう。目の前に常に優良物件があれば、その辺の男は比較対象にすらなることはない。

 「あら、悠一さん、飲んでるの?」

 夕飯の片づけを終えてリビングに戻った沙紀が、空になったビールを珍しそうに見ていた。

 「たまには、いいだろう?」

 俺は普段、家では酒を飲まない。だが今日はなんとなく飲みたい気分だった。
 祝杯ではない。だが、長年の片思いが実った親友に対する気持ちと、妹を想う兄の気持ちとが入り混じった複雑な心境ではあった。

 輝翔が無理強いしたわけではなく、美月自身が導き出した結果であるのならば、もはや何も言うことはない。この先、自分や美月が考えている以上の展開が待っているかもしれないが、乗り越えるかどうかは本人たち次第だ。
 それに、あれだけ美月だけを想い続けた輝翔ならば、美月が不幸になるようなことはしないだろう。

 俺の気持ちを察したのか、沙紀は静かに隣に座る。手にしていたビールも空になったので、次に手を伸ばそうとすると、軽く制された。

 「飲みすぎないようにね。悠一さんは、酔うと口が軽くなっちゃうんだから。」
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